PiFl Labs株式会社
アプリ クルー 船 航海日誌
ENKOJA
日誌を読む
Dialogos› 出典ライブラリ› プラトン対話篇 · エウテュプロン

プラトン対話篇 · エウテュプロン

ソクラテス

作品について

『エウテュプロン』は、古代ギリシアの哲学者プラトンが師ソクラテスを語り手として紀元前4世紀ごろに著した初期対話篇です。不敬の罪で裁判を控えたソクラテスが、法廷の前で予言者エウテュプロンと出会い、「敬虔(けいけん)とは何か」を問い詰める短い対話で、道徳の根拠を神々の意志に置く考えを揺さぶる「エウテュプロンのジレンマ」で知られます。Dialogosはこの対話篇が示すソクラテス式問答(エレンコス)を引用し、安易な定義を疑い、概念の本質を問い直す姿勢を伝えます。日本語では、神が善を命じるから善いのか、善いから神が命じるのか——という倫理学の根本問いとして今も論じられています。

歴史的背景

『エウテュプロン』は、プラトンが紀元前4世紀初頭に古代ギリシア語(アッティカ方言)で著した初期対話篇です。舞台は紀元前399年ごろ、不敬罪で告発され裁判を控えたソクラテスが、王の柱廊(アルコン・バシレウスの法廷)の前で予言者エウテュプロンと出会う場面。エウテュプロンは、日雇いの男を死なせた自分の父を殺人罪で告発しに来たところでした。二人は「敬虔とは何か」をめぐって問答を重ねますが、定義に至らぬまま終わる典型的な「アポリア(行き詰まり)」対話篇です。日本語では田中美知太郎ら訳の岩波『プラトン全集』(1975年)や西洋古典叢書版(2017年)で読めます。

敬虔の定義

ソクラテスはエウテュプロンに、「神々が愛するもの」や個々の事例ではなく、すべての敬虔な行いを敬虔たらしめる一つの本(エイドス・形相)を示すよう求めます。さらに「神々が愛するから敬虔なのか、それとも敬虔だから神々が愛するのか」と問い返し、神々の承認が道徳の根拠とはなり得ないことを明らかにします(6d–e、ジレンマは10aで完成)。

主な名言

  • 敬虔とは、まさに今わたしがしていること——殺人や冒涜の罪を犯した者なら、たとえ父であろうと告発することです。
    プラトン対話篇 · エウテュプロン · 5d

    最初の答えは「定義」ではなく「一例」。例を一つ挙げても、概念を理解したことにはならない——職場でも陥りやすい最初の罠。

  • わたしが知りたいのは、すべての敬虔なものを敬虔たらしめる一つの本(形相)だ。それを基準として行いを測りたい。
    プラトン対話篇 · エウテュプロン · 6d

    個々の事例ではなく「ものさし」を求める。良い定義とは、判断の基準として使えるものでなければならない。

  • では問おう。敬虔なものは神々が愛するから敬虔なのか、それとも敬虔だから神々が愛するのか。
    プラトン対話篇 · エウテュプロン · 10a

    「エウテュプロンのジレンマ」。権威が正しさを作るのか、正しいから権威が従うのか——上司の指示にも当てはまる問い。

  • 君の言葉はわが祖先ダイダロスの彫像のようだ。据えようとすると歩き去り、一所にとどまらない。
    プラトン対話篇 · エウテュプロン · 11b

    定義が手からすり抜けていく瞬間。考えが揺らぐのは逃げたのではなく、もう一歩問い直すべき地点に来たということ。

重要な概念

敬虔 (to hosion)
神と人に対する正しいあり方。この対話篇全体が「敬虔とは何か」という一つの定義を追い求める。
エイドス・形相 (eidos)
すべての敬虔なものを敬虔たらしめる一つの本質・形。ソクラテスは事例ではなくこの形相を問う。
エレンコス (elenchos)
相手の答えを問い返して矛盾をあぶり出すソクラテス式の論駁。安易な定義を崩し、無知の自覚へ導く。
エウテュプロンのジレンマ
正しいものは愛されるから正しいのか、正しいから愛されるのか。道徳の根拠を権威(神々の意志)に置けるかを分ける問い。
アポリア (aporia)
出口のない行き詰まり。対話は定義に届かず終わるが、その「分からなさの自覚」が探究の出発点となる。

今日どう活かすか

職場での適用です。同僚や上司と「責任感」や「プロらしさ」といった言葉で評価し合うとき、エウテュプロンのように一例(「残業する」)ではなく、それを責任感たらしめる基準を一文で書いてみましょう。書けずに行き詰まったら失敗ではなく、ダイダロスの彫像のように定義が歩き去る——いちばん学べる地点に来た合図です。

もう一つ。ある社内ルールに従うとき、「上が決めたから正しい」のか「正しいから従う」のかを自問してください。この一度の問いが、思考停止の同調と、納得したうえでの判断とを分けます。

現代日本語訳ガイド

市販の現代語訳のうち、まず手に取りたい定番を広告なしで中立にまとめました。原文を無料で読みたい方は、下の「パブリックドメインの原文」をご覧ください。

  • エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン(西洋古典叢書) 西尾浩二・京都大学学術出版会(西洋古典叢書 G101)

    「エウテュプロン」は西尾浩二訳、「ソクラテスの弁明」「クリトン」は朴一功訳の3編合本。ギリシア語原典からの学術訳で訳注・解説が充実。敬虔とは何かを問い、「神々に愛されるから敬虔なのか、敬虔だから神々に愛されるのか」という〈エウテュプロンのジレンマ〉を扱う。

  • エウテュプロン(プラトン全集 第1巻) 今林万里子・岩波書店(プラトン全集 第1巻)

    『プラトン全集』第1巻に「ソクラテスの弁明」「クリトン」「パイドン」と合本収録され、「エウテュプロン」は今林万里子訳。日本のプラトン研究の標準的な全集の一冊。

Dialogos が出典を扱う方針

Dialogosの応答は、著作権が消滅した原典の思想を現代日本語に意訳したものであり、著作権のある現代訳をそのまま引き写すものではありません。出典表記は、その思想が現れる対話篇の節(ステファヌス番号)を指します。

パブリックドメインの原文

以下は著作権が消滅したパブリックドメインの原文です。訳はオックスフォードの学者ベンジャミン・ジャウェット(Benjamin Jowett, 1817–1893)による古典英訳で、訳者没後100年以上が経過しパブリックドメインです。日本語のPD完訳は限られるため、無料で確認できる英語のPD訳を案内します。

  • Wikisource — エウテュプロン(Benjamin Jowett 訳)
  • Project Gutenberg — エウテュプロン(Benjamin Jowett 訳)
  • MIT Internet Classics Archive — エウテュプロン(Benjamin Jowett 訳)

上記リンクは外部サイトに接続します。PiFl Labs はその内容を管理していません。

よくある質問

プラトン『エウテュプロン』とはどんな作品ですか?

紀元前399年ごろ、不敬罪の裁判を前にしたソクラテスが、法廷の前で予言者エウテュプロンと「敬虔とは何か」を論じる短い対話篇です。道徳の根拠を神々の意志に置こうとする試みを疑う「エウテュプロンのジレンマ」(10a)で広く知られています。

この作品の著者と語り手は誰ですか?

著者は古代ギリシアの哲学者プラトンで、対話を導く語り手はその師ソクラテスです。プラトンがソクラテスを登場人物として紀元前4世紀初頭に著した初期対話篇です。

「エウテュプロンのジレンマ」とは何ですか?

10aでソクラテスが投げかける問いです。「敬虔なものは神々が愛するから敬虔なのか、それとも敬虔だから神々が愛するのか」。前者なら道徳は気まぐれな承認に左右され、後者なら道徳の根拠は神々の意志の外に別にあることになります。権威が正しさを作るのかを問う倫理学の古典的難問です。

なぜエウテュプロンは自分の父を告発するのですか?

エウテュプロンの家の日雇いが酔って別の召使いを殺すと、父はその下手人を縛って溝に放置し、その間に男は寒さと飢えで死にました。エウテュプロンはこれを殺人とみなして父を告発しに法廷へ来たのであり、その確信が「敬虔」を知っているという自負の背景になっています。

この対話篇は結論が出ますか?

いいえ。敬虔のさまざまな定義が次々に崩され、最後にエウテュプロンは急用があると言って立ち去ってしまいます(15e)。定義に至らぬまま終わる「アポリア」対話篇で、答えを与えるより、安易な定義を疑わせることに目的があります。

『エウテュプロン』の原文を無料で読めますか?

はい。ベンジャミン・ジャウェット(Benjamin Jowett, 1817–1893)の英訳は著作権が消滅したパブリックドメインです。Wikisource、Project Gutenberg、MIT Internet Classics Archiveで全文を無料で読めます。

どの順番で読むとよいですか?

ソクラテスの裁判を扱う三つの対話篇をまとめて読むのがおすすめです。裁判直前の『エウテュプロン』→法廷弁論の『ソクラテスの弁明』→脱獄の勧めを断る『クリトン』の順が、出来事の流れと一致します。いずれも短く、入門に適しています。

Dialogosはこの作品をどのように引用しますか?

Dialogosは原典の思想を現代語に意訳して伝え、著作権のある現代訳をそのまま引き写すことはありません。出典表記は思想が現れる対話篇の節(例:6d–e、10a)を指します。

『エウテュプロン』の有名な一節は何ですか?

最も知られているのは〈エウテュプロンのジレンマ〉と呼ばれる問いで、ソクラテスは「敬虔なものは、神々が愛するから敬虔なのか、それとも敬虔だから神々が愛するのか」(10a)と問います。これは、善悪の基準が神(権威)の意志によって作られるのか、それとも神より先に成り立つ正しさがあって神がそれに従うのか、という倫理学の根本問題を突きます。なお、この対話の舞台でソクラテス自身が控えていたのは殺人罪ではなく不敬の罪(アテナイの神々を信じず新しい神霊を持ち込んだという告発)と青年を堕落させた罪の裁判であり、エウテュプロンと「敬虔とは何か」を論じる場面で語られます。

関連する出典

  • ソクラテスの弁明 · ソクラテス
  • メノン · ソクラテス
  • エンケイリディオン · エピクテトス
出典ライブラリ Dialogos アプリを見る
PiFl Labs株式会社

海賊のようにコード、Flutterのように飛ぶ。

Flutterベースのクロスプラットフォームスタジオ。とても小さくて、とても頑固なオウムと一緒に、デジタルの海を旅しています。

案内

  • ホーム
  • クルー
  • 船
  • 航海日誌

連絡先

© 2026 株式会社 PiFl Labs 利用規約 · プライバシー · Made with ⚓
テーマ
文字サイズ